多様な愛のかたちと、その裏にある葛藤を描くドラマ
「彼女がそれも愛と呼ぶなら」(通称:かのそれ)。
第2話では、ポリアモリーの母親に複雑な思いを抱える千夏、
偶然の再会で価値観のズレに揺れる絹香と伊麻、
そして束縛的な母のもとで生きる氷雨など、登場人物たちの“愛し方”が交錯していきます。
誰かを想う気持ちが、時に苦しみや孤独を生む――そんな“愛のリアル”が静かに胸を打つ回でした。
\本日オーレ発行日!/
— 週刊オーレ (@olemoolemo) April 4, 2025
表紙は栗山千明さん💛💛ドラマ「彼女がそれも愛と呼ぶなら」に出演されています!紙面では、この春スタートするドラマなどを紹介する新番組特集や、仙台箪笥のセールなどを掲載!一部記事はオーレwebからも読めますよ!>>https://t.co/LWImDyRNs0 pic.twitter.com/xNNUDfcPjj
「かのそれ」第2話、揺れ動く想い──愛って本当に“それ”なの?
「私には他にも恋人がいる」
伊麻(栗山千明さん)のこの一言が、氷雨(伊藤健太郎さん)の常識を粉々に砕く瞬間から、
『かのそれ』第2話は「愛の定義」への挑戦を始めます。
部屋に転がる赤いボクサーパンツが象徴するのは、単なる嫉妬ではなく、
「自分だけを見てほしい」という欲求と「多様な愛」を受け入れる葛藤の狭間。
『かのそれ』が描くのは、まさにこの愛の相対化という危ういバランスなのです。
▼「理解しようとする」という選択
氷雨が亜夫(千賀健永さん)に漏らした「伊麻の愛と釣り合っていない気がする」
という不安は、視聴者の胸を掴みます。
『かのそれ』が鋭いのは、「正解のない恋愛」に直面した人間の等身大の反応を、
美化せずに切り取った点。
亜夫の「愛にはいろんな形がある」という言葉すら、完全な解答ではなく、
ただの「通過点」として描かれます
▼『かのそれ』が問う「愛のアップデート」
伊麻が実践するポリアモリーは、単なる「恋人の数」の問題ではありません。
『かのそれ』が真正面から切り込むのは、「所有欲と自由の共存」という現代的なジレンマ。
氷雨が最後に選んだ「理解しようとする姿勢」は、SNS時代の「即座の共感」を超えた、新しい関係性の可能性を示唆しています
『彼女がそれも愛と呼ぶなら』文庫発売になりました。読んでもらえたらうれしいです。
— 一木けい (@KeiIchiki) March 26, 2025
先日ドラマの撮影現場にお邪魔したのですが、原作者としてとか、お仕事を見学させてもらうとかではなく、そこに存在する家族を見ている感覚でした。亜夫くんと氷雨の掛け合いが最高で、笑いっぱなしだった! pic.twitter.com/0l2ZP6Skdg
伊麻のポリアモリー、絹香の普通・・
「あの頃の絹香は、もっと自由だったのに」
「かのそれ」第2話の中盤、娘の学校で偶然再会する絹香と伊麻のシーンには、
価値観の衝突と、過去を引きずる痛みが静かに流れていた。
絹香は“普通の母親”として生きようとする。
しかしその“普通”は、どこか苦しげで、ひとつひとつ自分を押し込めていく檻のようでもある。
家族、学校、周囲の目、絹香はそれらすべてを気にしながら、「正しくあろう」と自分を律している。
一方で、伊麻は「自由に愛する」ことを恐れない。
誰を愛し、どう生きるかを自分で決める。
ポリアモリーというライフスタイルを選び、その中で堂々と生きる姿は、
「モラハラ夫との冷たい結婚生活」をおくる絹香にとって“自由すぎる”がゆえに、
どこか眩しく、羨ましく、そして少し怖い存在なのかもしれない。
「どうしてそんなふうに生きられるの?」という絹香の沈黙の問いに、
伊麻は答えるでもなく、ただ変わらない態度で立っている。
その姿が、絹香の心を揺らす。
「普通」の枠からはみ出すことへの恐れと、
「自由」を選んだ者への嫉妬。それぞれが抱える不完全な想いが、
すれ違いながらも確かに交差していく。
“ポリアモリーの母”と娘・千夏の葛藤
「かのそれ」第2話では、千夏とその母との複雑な関係が静かに、
しかし確かに描かれていく。
ポリアモリーという、ひとりの人間が複数の相手を愛するという生き方を選ぶ母に対し、
千夏はどこか距離を感じている。
世間とは違う「愛のかたち」に、娘としてどう向き合うべきか
その葛藤は、やがて彼女自身の恋愛観や人生観にも影を落とし始める。
理解したいけど、納得できない。
その狭間で揺れる千夏の視線を通して、「愛とは何か」「家族とはどうあるべきか」
という問いが、視聴者にも静かに投げかけられる。
その戸惑いは、学校という日常にもにじみ出る。
母親に15歳も年下の恋人がいることが友人に知られ、「気持ち悪い」と言われたとき、
千夏の心は大きく揺れた。
自分が言われたわけじゃないのに、胸の奥がずっとざわついて、息が詰まりそうだった。
反論したい気持ちと、どこかで“そうかもしれない”と思ってしまう自分。
その狭間で、千夏は言葉を失う・・・
氷雨の母親が引き起こす「愛の束縛」
「かのそれ」第2話では、氷雨という青年の背景にも静かな焦点が当てられる。
彼の母親は、一見上品で優しそうに見えるが、実は息子に対して過剰なほど干渉し、
支配的な愛情を向けている。
その愛は“心配”や“善意”の名を借りているが、実際には「私の思う幸せ」を押しつけるものだった。
氷雨がどんな人を好きになろうと、どう生きようと、その全てに口を出し、道を決めようとする。
そんな母のもとで育った氷雨が、なぜポリアモリーという価値観を受け入れようとするのか
その背景には、ひとつの愛に縛られない自由さへの憧れがあるのかもしれない。
多様な愛を肯定する「かのそれ」の世界観の中で、氷雨は自分の愛し方を模索しながら、
母の作った“理想の息子像”という檻から抜け出そうとしている。
誰かを深く愛することと、誰かに縛られることは違う。
ポリアモリーが描く“愛の自由”は、氷雨にとって、もしかすると生きる手がかりに
なるのかもしれない。
母と息子のねじれた関係もまた、「かのそれ」が描く“愛のかたち”の一つなのだ。
まとめ
ポリアモリーを貫く伊麻(栗山千明さん)の生き方が描かれる『かのそれ』第2話。
氷雨(伊藤健太郎さん)が直面したのは「複数恋愛」という常識外れの現実と、
母親からの過保護な束縛という二重の葛藤。
高校時代の友人・絹香(徳永えりさん)が抱えるモラハラ夫問題や、
伊麻の娘・千夏の「普通の家族」への憧れが交錯する中、
『かのそれ』が問うのは「愛の形は誰が決めるのか」という根源的なテーマ。
ポリアモリーという選択肢が照らし出すのは、孤独と自由の狭間で揺れる現代人の姿。
伊麻たちの関係性が突きつける「愛のアップデート」は、視聴者に
「それも愛と呼べるか」という問いを投げかけます。